この死亡率は、血友病患者のHIV陰性グループにおいてはその後も同じであったのに対して、HIV陽性の患者たちでは一0倍に増え、一九九一~九二年までに一000人につき八一人に達した。
これらの大半はエイズ関連死であった。
第二に、世界中で三000人の保健医療従事者たちが偶然にHIVにさらされていた。
そのうち九二人がHIV抗体陽性になり、多くがすでにエイズで死んでいる。
M・Jが好例である。
彼は、アメリカ、テネシー州のV大学で脳疾患を専門にする病理学者であり、HIV抗体陽性である。
著書『奇跡にとり組む』のなかで、彼は、自分がどのようにHIVに感染したか、そして体のなかのウイルスとどのように戦っているかを生々しく記述している。
これは有無を言わせぬ読み物である。
一九九二年九月のある晩、午後八時のことであった。
Jは遅くまで顕微鏡で仕事をしていた。
そのとき電話が鳴り、同僚の一人から、たったいまエイズ患者が一人死んだことを告げられた。
彼は直ちに剖検を行うことに決めた。
いつものように彼は万全の防護措置をとった。
防護用のつぎジャンプスーツ、マスクとシールド、ア‐ムプロテクターと二対のラテックス手袋、しかしそれで十分ではなかった。
彼は自分の凶器一式鋸メス、錘甜子に囲まれて、死者の脳を取り除く仕事にとりかかった。
頭蓋を鋸で開くまえに頭皮をはいでいるとき、彼の血のついたメスがすべって親指に深く切り込んだのである。
ここでも彼は当時の規定ガイドラインのすべてに従った徹底的な洗浄、潟血、消毒薬。
翌日、彼は診療所に報告し、型どおりの血液検査を申請した。
しかしそれでおしまい。
彼はHIVに感染していた。
それからあとは、彼の人生は自分自身のウイルスに対する聖戦になった。
彼は考えうる限りの手をつくした。
ここが一九九六年で終わる時点では、Jは健康であり、HAART多剤併用抗HIV療法を受けている。
彼個人としてはDと彼の一派に対して強い怒りを感じているに違いない。
TSEの流行病(BSE、CJD、クールー)についてはすでに扱った。
ここではTSEの原因は何かについて問うことにしよう。
この問いに対する短い答えを私たちはまだ知らない。
しかし、それらを引き起こす原因が何であれ、それは顕微鏡的であり、感染性があり、しかもまだ分類が決まっていないのである。
何十年という探索のあとでも、TSEを説明するウイルスらしい粒子は見つかっていない。
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